街は、看板だらけでバスに乗っていると頭ぶつけそう〜夜はネオンが綺麗なのですがどの看板も一切点滅していない、その訳は、空港が街の真ん中にあってパイロットが空港を見分けにくくなり危険だからだそうです。水上レストラン(写真右)で夕食を食べたのですが、私の口にはまったく合いませんでした、正直かなりマズイ・・・旅行中いろいろな所で食事しましたが、全部マズかったです・・・日本の飯が一番ですわ!
太平洋戦争後50年の時を得て日本の空をゼロ戦が飛ぶという事を雑誌で見た、しかも北海道道南の鹿部飛行場に来る!このチャンスを逃したら、二度と本物のゼロ戦が飛んでいる姿を見ることはないと言い切れるほど、究極に珍しいイベント!おまけにアメリカの最高傑作の戦闘機といわれるP51マスタングも飛ぶ!普通の人の感覚に例えると自分の大好きなハリウットスターが目の前で見れて話ができるというくらい感動ものです。
ということで、私が20歳の頃のイベントレポートです。
P51マスタングの印象は、飛行中の音もカッコよく、映画に出てくるような「ブ〜〜〜ン〜〜〜〜」という現代のプロペラ機をもっと力強くした感じで、スピードがあり古さを感じさせないというのが印象です。一方ゼロ戦は、エンジン始動から、「パス・・・パス・・・」となんか不発のような音を繰り返し、ようやく始動したかと思うと「ペタッペタッペタッ」とハーレーダビットソンのアイドリングのような感じで、おい!大丈夫か?本当に飛べるのか?というくらい頼りない音でした、そして離陸し姿が見えなくなり、どこから来るのかなと思っていたら、突然音も無く後ろの林から超低空で私の頭上を飛んでいった!見えた瞬間全身鳥肌もんです!感動もんです!音はヘリコプターのような「バタバタバタ」という感じでお世辞にもカッコいい音とはいえないが、なんか味があるというかとにかく感激した記憶があります。2機が仲良く飛んでいる姿をみていると当時は絶対ありえない風景なのですが、性能差は歴然で、当時のアメリカ工業力の凄さをまざまざと感じました。こんなスゲ〜飛行機を造る先進国と戦った日本は、先見の目がなかったのか負けて当然だな〜と思ったのが素直な感想です。それでも1対1の戦闘機の戦いでは、日本の方が強かったというのだから、当時の日本のパイロットの腕はスペシャリストだったんでしょうね〜 特攻をするようになる頃のパイロットのレベルは、戦況が切羽詰っていたため十分な教育ができず、歴戦のパイロットを除いては相当低かったようです。
両機の性能や戦争の状況についてはインターネットで調べた方が詳しくわかると思います
余談として、ゼロ戦のエースパイロット坂井三郎が書いた「大空のサムライ」というノンフィクションの自伝を読むと当時の日本人の何かを成し遂げるための精神力、気力、執着心、行動力、責任感や指揮官(サラリーマンでいう管理職)の統率力や責任感、部下を思う気持ち、また部下が上官を思う気持ちなど今の時代には薄れた何かを掴み取る事ができると思います!その他に臨場感あふれる空戦(ドッグファイト)の状況など迫力があります!興味のある方もない方も仕事で戦う男なら是非読む価値のある本ですよ!
【1992年2月】
当時勤めていた会社の社員旅行でホンコンに行ってきました!
その当時は、空港が街の真ん中にあったため、着陸の際は街に突っ込んでいく感じで窓から見える景色はビルの窓!うわっ!危ね!ってビックリした記憶があります!
飛行機を降りた時のホンコンの第一印象は「臭っさ!暑い!湿り気大大!」ってな感じで臭いのにはすぐに慣れましたが、暑さと湿度には、参った・・・。
勝手気ままな日記(2000年以前に印象が強かった出来事)
左の写真は、ペニンシュラホテルと言い、1982年にオープンした伝統と格式のある世界でも有名なホテルです、ヴィトン、エルメスなどほとんどのブランドショップがテナントで入っています。私は何も買いませんでした・・・。右の写真は改装中のマンションですが、足場が全部「竹」でした!香港は日本のような足場を使用すると一晩で盗まれ売り飛ばされてしまうので、竹を使用しているそうです!おや!?命綱なしで作業してるぞ〜!おい危ねってば〜!死にて〜のかって!!考えられません・・・。
左の写真は、夜景スポットとして有名な場所から撮影、世界三大夜景の一つとしてとても有名ですが、期間中全部曇りで1回も綺麗な夜景を見ることができませんでした・・・右の写真で貧富の差がはっきりわかりますね〜日本はここまでの差は無いです。やはり日本は凄い国ですね!